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【新八代屋】昔の面影をそのまま残す元醤油醸造店

更新日:1月14日


こんにちは。『そようよさそうよ』専属ライターの「SUGIMASA」です。


私は建築物が好きで自称・建築物フェチです。


本職でもあるデザイナーとしての勉強の一環で建築デザインの勉強も独学でやっています。


自分で事務所の内装なんかも作ったりもしています。


建築物は作るのも好きだし見るのも好きです。


常日頃から建築物を見ては、


「この建築物のここ好きやわ~」


とオタクじみた事を考えていますw


新しく作られたお洒落な建築物ももちろんいいですが、昔建てられた建築物も風情があって好きです。


『そようよさそうよ』の活動拠点である馬見原には昔ながらの建物が多く残っています。


取材で馬見原に訪れた際に私がとても好きな雰囲気の建築物を見つけたので、今回はその建築物をご紹介します。


◆目次



馬見原商店街入り口の目の前

今回ご紹介する私が好きな建築物は「新八代屋」と言う名の建物。 馬見原の中心地「馬見原商店街」入り口の目の前にあります。

「馬見原商店街」を一望できる「明徳山」の入り口のすぐ横に「新八代屋」はあります。 「明徳山」を登る前にまずは「新八代屋」に立ち寄ってみて下さい。




元醤油醸造店

「新八代屋」は、明治17年(1884年)に建てられた醤油醸造を営んでいたお店です。

馬見原には他にも「本八代屋」や「南八代屋」など似たような屋号を持つ建物が今でも残っています。 ちなみに、山鹿市にある国指定重要文化財「八千代座」とも名前が似ていますが、関連性は無い様です。


建材には主に欅を使っており、白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりこめ)という様式で建てられています。 これは、江戸時代に火災が多かった町家の防火対策として考えられたものの一つです。 建物には四階の上に2間×3間の望楼(5階)がありましたが、現在は撤去されて屋根だけになっています。 当時の馬見原ではこの屋根の上に望楼を設ける建て方は主流だった様です。 残念ながらこの日は中に入れなかったので、一度中に入って中の様子を覗いてみたいものです。



当時の資料や調度品などが現在も残されている

明治26年(1893年)9月7日から約20日間、以前『そようよさそうよ』の記事でも紹介した「服掛松キャンプ場」周辺で軍事演習が行われました。 軍事演習が行われた際に、第六師団長北白川能久親王殿下がこの家に滞在されたそうです。 その当時の資料や調度品などが現在も残されています。 色々と歴史がある建物なんですね。




まとめ

見た目風情さだけでなく様々な歴史もある「新八代屋」。 次に訪れた時には中まで覗いてみたい建築物です。

私みたいな古い建築物が好きな方は見る価値があるので一度訪れてはいかがでしょうか?


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私達は地方にある多数の問題に取り組み、それを解決することが仕事により良い影響を与え、新たな仕事を生み出すと考えます。現在はまだ少人数で明確なゴールが見えてるわけでもありませんが、次世代に繋ぐ何かを見い出し、戻りたい街へと変化し、いつかは様々な人が集まる「モテる街」になれればと願っています。地域の皆様と共に少しでもより良い地域となる様に歩んで参ります。


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