こんにちは!
旧蘇陽町(山都町)の町おこしプロジェクト『そようよさそうよ』広報担当の「SUGIMASA」です。
先日、取材でこのプロジェクトの活動基地がある馬見原を訪れた際に、いつもの様に私の大好きな「三河羊羹」を買いに「馬見原商店街」の「甲斐商店」に立ち寄りました。
その時に、商店街の駐車場のすぐ近くに気になる場所を見つけました。
その場所には、「大関所跡」と書かれているではありませんか。
「もしかしたらここは物凄い場所じゃないのか?」
そう思い、今回は「大関所跡」について調べてみました!
◆目次
|そもそも関所とは?
今回ご紹介する「大関所跡」を調査する前に、そもそも関所とは何なのかを調べてみました。
関所とは、交通の要所となる場所に設置された徴税(税を取り立てる事)や検問のための施設の事です。
主に峠や河岸に設置されていました。 中世に関所の廃止が一度行われたが、江戸時代に入ると再び関所の設置が江戸幕府や諸藩が軍事・警察上が必要になった為に行われました。
江戸時代に設置された関所は軍事・警察が目的で、関税を徴集する事は無くなっていました。
その後、関所は役目を終えて1869年(明治2年)に明治政府によって廃止されました。
歴史の授業で聞いた事はあったけど、何となくすごい場所としか認識していませんでしたw
|「馬見原商店街」の駐車場横に!?
関所については分かったので、本題の「大関所跡」の話に戻ります。
私がこの「大関所跡」の看板を見つけたのは、「馬見原商店街」の駐車場のすぐ横でした。
「馬見原商店街」には何度も訪れていたので、いつも通りこの道を通っていたら、何故か看板があったので気になって近づいたら見つけてしまったのです。
|昔は重要な関所だった
その昔、馬見原は東の延岡藩との藩境で、九州の中央部を東西に通る日向往還と、北の阿蘇から南の椎葉を経て人吉に連なる二つが交叉する交通の要害(地勢がけわしく敵を防ぐのに適している場所)でした。
肥後細川藩にとって馬見原は、豊前街道の南関、薩摩街道(水俣市)、豊後街道の坂梨(阿蘇)とともに、最も重要な関所となっていました。 大関所は街道を柵で仕切り、その中に構(かまえ)と呼ばれる木造の門があったそうです。
大関所と言うだけあって、それだけ重要な場所だったんですね。
|まとめ
今回ご紹介した「大関所跡」の様に、地方には気付かない所に意外にも凄い場所が隠れているものです。
注意深く周りを見渡すと面白い発見があるかもしれません。
『そようよさそうよ』の活動では、町の歴史についても深掘って調べていきたいと思います。
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