旧蘇陽町(山都町)の町おこしプロジェクト『そようよさそうよ』広報担当の「SUGIMASA」です。
『そようよさそうよ』の活動基地がある馬見原に取材に行く際に良く見る言葉があります。
「馬見原町ハシャレタ町ナリ」
馬見原近辺を歩いていると良く目にします。
一体、誰が何の目的で残した言葉なのでしょうか? 始めてこの言葉を目にしてから、ずっと気になっていました。
今回はこの「馬見原町ハシャレタ町ナリ」について調査してみました!
◆目次
|案内看板に載っている
「馬見原町ハシャレタ町ナリ」
この言葉を目にしたのは、始めて馬見原を訪れて取材で馬見原近辺を散策している時でした。
馬見原の観光スポットを探していたらたまたま見つけた観光案内看板にこの言葉が載っていました。
この案内看板は馬見原にいくつか置かれているので、良く目にします。 始めてこの言葉を目にしてから取材で馬見原を訪れては案内看板を見つけてこの言葉を探しました。
そう、私はこの言葉が気になってしょうがなかったのですw
|若山牧水が残した言葉
では、この言葉は誰が何の目的で残したのか?
調べていると、ある有名な人物の名前が浮上しました!
どうやら、あの有名な「若山牧水」さんが残した言葉の様です。
そもそも、「若山牧水」とはどんな人物なのか。
名前は聞いた事あるけど、詳しくは知らなかったので調べてみました。
「若山牧水」は、宮崎県出身の明治時代~昭和時代前期に活躍した歌人(歌を作る人)です。
生前には沢山の歌を残し、全国には現在100基を超える歌碑が残されています。
「馬見原商店街」の中にも「若山牧水」の歌碑がありました。
「山の宿の 固き枕に夢を呼ぶ 秋の女神の衣白かりき」 この様に、全国各地で素晴らしい歌を残されている様です。
「若山牧水」が馬見原を訪れたのは彼が17歳の時で、当時の馬見原は山間の小都会といわれた町だった様で、その素晴らしい街並みに感銘を受けて
「馬見原町ハシャレタ町ナリ」
と、道中書かれていた日記に記されているそうです。
その言葉が今も残されているなんて、素敵ですね♪
|馬見原は確かに洒落た町だった
「若山牧水」が馬見原を訪れた当時と現在では見た目は少し変わってしまったかもしれませんが、それでも彼が残した言葉通り馬見原は現在も
「馬見原町ハシャレタ町ナリ」
だと私もこのプロジェクトを通して感じています。
昔ながらの風情ある街並みを残したこの町はいつまでも「シャレた町」であり続ける事でしょう。
|まとめ
今回のこの調査で改めてここ馬見原は、
「馬見原ハシャレタ町ナリ」 である事を実感しました。
「若山牧水」が残した言葉を今後も残して行けるように『そようよさそうよ』のプロジェクトに励みたいと思います。
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